明治以降の沖縄

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明治以降の沖縄

琉球藩へ

明治政府は全国で廃藩置県を実施した翌年1872年、琉球王国を強制廃止して琉球藩を設置します。
 更に1879年4月4日には琉球処分を行い、琉球は日本の一県であるとし廃藩置県を断行したのです。

最初、琉球は鹿児島県に編入せれたが同年中には沖縄県が設置されました。琉球国最後の国王であった尚泰は侯爵に叙され東京定住の命を受けます。

中国と沖縄

 政府が琉球藩を設置した時に清は琉球の領有権を主張しており、廃藩置県で琉球を日本国家に組み込んだことで日清関係に緊張が走りましたが、清の武力介入は行われませんでした。
 1880年日本政府は日清修好条規への最恵国待遇条項の追加と引き換えに先島諸島割譲を提案し、清もこれに応じて仮調印はしたものの妥結に至らず琉球帰属問題の解決にはなりませんでした。
 しかし1894年の日清戦争で清が敗れると、台湾を割譲すると同時に、琉球に対する日本の主権を認めざるを得なくなり、領有権問題が解決した。中華民国は沖縄諸島は日本領であると正式に承認したのです。

日本国沖縄

ようやく正式に日本の領土となった沖縄ですが、法整備が遅れ琉球時代の体制が引き継がれていました。宮古島で先頭諸島の人頭税廃止を求める運動が起きると、それをきっかけとして各地で旧制度廃止・改善を求める運動が起きます。県庁農業技師の謝花昇を中心に、県民は県政の改善や参加権の要求をしました。
 その後本土に10年~25年ほど遅れて徴兵制、地租改正、市町村制などが施行されることになります。
また沖縄県民の皇民化計画により琉球八社の中心であった波上宮は官幣小社に列せられます。

また県内各所の御嶽、拝所は村社として拝殿や鳥居を設置するなど整理され、神道布教が進められるようになりました。
 南欧諸島が日本の委任統治になると、沖縄県から多くの住民が移り住み始めます。同時期にはブラジルやハワイなどの中南米諸国への移住も多くみられました。

戦争の終わり

第一次世界大戦の戦争バブル崩壊に、世界恐慌、農作物不作が重なり、ソテツ地獄と呼ばれる飢饉の状態が訪れると、本土に出稼ぎに行くなど県民の移住は更に進みました。
 太平洋戦争が始まり、1944年10月10日の空襲により那覇市の90%は壊滅してしまいます。本土疎開中の学童疎開船対馬丸も被雷するなど県内では非常に多くの被害が出たのです。
 1945年3月29日に慶良間諸島がアメリカ海軍隊に占領され、4月1日には沖縄本島読谷村からアメリカ軍が上陸し、日本軍と地上戦を展開した。沖縄県民も沖縄防衛隊を配置して参戦し、多くの犠牲者を出しました。
 6月23日に軍司令官牛島満が自殺し組織的戦闘は集結しましたが、その後も各地でゲリラ戦が相次ぎます。実質的戦闘は7月4日に終了、9月7日に降伏文書が取り交わされました。

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