先史時代の沖縄

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先史時代の沖縄

先史時代

二億五千万年前頃から一億三千万年前頃まで

二億五千万年前頃から一億三千万年前頃までの琉球列島は海底に位置していまたが、

千五百万年前頃から千万年前頃に陸地化し、中国大陸・九州と繋りました。
千万年前頃から二百万年前頃にかけて再び切り離されますが、

アジア大陸や日本列島に住む動物の化石が沖縄で発掘されたことから、

陸続きになっている間にシカ・ゾウ・ヤマネコなどが移ったことがわかります。

現在沖縄県に生息するイリオモテヤマネコもその例の一つですね。

その後、百五十万年前頃に再び中国大陸と繋がり、二万年前に三つの島嶼群に分かれ、

氷河期の終了により海水面が百メートル上昇した末に、現在の姿に至ったと考えられています。

後期旧石器時代と貝塚時代

沖縄県の先史時代は土器出現の前後で後期旧石器時代と貝塚時代とに分かれています。

人類がいつから沖縄に生息していたかということは定かではありませんが、三万二千年前頃には、那覇市内で発見された山下洞人、一万八千年前頃には具志頭村の港川で発見された港川人の出現がみられます。いずれも中国大陸から移ってきたとされています。
港川人は日本で最初に発見された完全体に近い旧石器時代人骨として有名です。ちなみに県内から正式な旧石器は発掘されてません。
港川人の年代以降は遺跡が全く発見されない空白の一万数千年を経て、七千年前頃に貝塚時代が始まります。

貝塚時代前期は本土の縄文時代、後期は弥生時代から平安時代にかけての時期です。

前期の遺跡が見られるようになったのは縄文時代中期頃の物からであり、土器を使用した狩猟採集経済の様子がうかがえます。
後期には海岸砂丘上に遺跡立地が移動し、漁労経済に変わります。
農耕は後期の末まで行われず、弥生文化の影響を受けるより独自性を高めた時期であると言えるでしょう。

3つの文化圏

貝塚時代の文化には三つの文化圏がります。

薩南諸島の北部文化圏、沖縄諸島と奄美諸島の中部文化圏、宮古・八重山諸島の南部文化圏です。

北部文化圏には縄文土器に類似する土器を使用するなど九州の縄文文化の影響が見られます。それが南下して中部文化圏において独自の発展をとげているのです。

一方南部文化圏は日本本土の文化とは異質で、台湾やフィリピンなどの南方諸島との関わりが深いことから、南方一帯を起源としていると考えられています。

北部・中部文化圏と同様に縄文相当期には土器の使用が見受けられるものの、南部で使用されていた土器は台湾先史時代の土器に近い物でした。またシャコ貝で作られた貝斧は九州や奄美・沖縄諸島にも見られず、東南アジアや南方の島々から入ってきた物とされています。

その後、八百年前頃になると鍋型土器やカムイ焼きの使用など、本島地方に近い文化が見られるようになっていくのです。

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