座喜味城跡
中頭郡読谷村にあるこのグスクは、読谷山の按司である護佐丸が築城したとされています。護佐丸は中城城を建築したことでも有名です。
また“護佐丸・阿麻和利の乱”の主要人物でもあります。護佐丸は、茂知附按司を滅ぼして力を蓄えた阿麻和利に対抗するため兵馬を整えました。これを阿麻和利は「護佐丸に謀反の動きがある」という形で王府に告げました。それによって尚泰久王が阿麻和利を総大将に任じ、中城城を包囲すると、王府軍と聞いた護佐丸は反撃せず、妻子とともに自害しました。
護佐丸は中城城も建築しており、建築の名手とされています。今ではどちらのグスクも世界遺産ですから、本当にいい仕事をした人ですね。
座喜味城門のアーチには楔石が仕様されており、アーチ門では古い形態とされます。しかしながら見事な造りで名手の名に恥じない美しい曲線を描いています。城壁や城門の石積みはグスクの中でも随一の美しさ、精巧さだという評価を受けることも多々あります。 グスクからの景色も絶景で、残波岬、恩納村の海岸、那覇市や慶良間までも見ることができます。沖縄県は本土に比べ多くの自然が残っていますが、ここからの眺めは特に緑が溢れています。
しかし良い評判の影で、護佐丸は、座喜味城を築城する際に与論島や沖永良部島、奄美大島等からも人夫を動員したと言われており、与論では子供に「護佐丸がチューンドー(来るぞ)」と言って泣く子を黙らせたと伝えられています。やはりこれだけの物を作るには相当な労働力が必要だったのでしょう。泣く子も黙る護佐丸、それだけ力を入れて創り上げたグスクなのですね。
座喜味城跡には沖縄戦前は日本軍の砲台、戦後は米軍のレーダー基地が置かれました。そのため一部の城壁が破壊されましたが、復元が行われました。
見所・料金など
現在グスク周辺は公園として整備されており、無料で観覧することができます。入り口には美術館があり、歴史民族資料が展示されています。入口から城門に至る道は美しい松林で囲まれ、公園としても魅力的な場所です。