【沖縄の名所】玉陵
那覇市首里金城町、首里城公園のすぐ隣にある玉陵(たまうどぅん)には、琉球王国の第二尚氏王統の歴代国王が葬られています。このお墓は石垣で囲われ、大きな石積みになっています。立派な陵墓の様は、そのまま当時の王家権力の強さを象徴しているかのようです。ピラミッドや古墳などの例にも見られるように、やはり権力者は死後もなおその存在の偉大さを誇示するものなのですね。お墓参りに行った先にこんな巨大な物があったらびっくりしちゃいますけどね……。
玉陵は玉御殿・霊御殿とも呼ばれます。 玉陵は「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として世界遺産に登録され、観光名所になっています。また全体が国の史跡、玉陵墓室石牆が国の重要文化財(建造物)、石彫獅子と玉陵碑が県の有形文化財(彫刻)に指定されています。沖縄特有の墓の形式の一種で家屋同様の屋根があるもののうち、屋根が破風形となっているものを破風墓(はふばか)と言いますが、玉陵は沖縄県最大の破風墓です。 始めは第3代尚真王が父である尚円王の遺骨を葬るため建造したとされています。玉陵は中室・東室・西室の3つの墓室に分かれています。
当時の葬制では葬儀の後は遺骸が骨になるまで安置をしました。それを中室で行い、数年後に骨を取り出して洗骨し、骨壺に収めます。そして王と王妃の骨は東室に納められ、西室にはそれ以外の家族の骨が納められました。
見学はできませんが、墓室内部は天然の岩壁をくり貫いて造られています。外は外庭と中庭に石壁で仕切られ、中庭には珊瑚の破片が敷き詰められているのも沖縄ならではという感じがします。 第二次世界大戦の際は、日本軍総司令部に近かったため玉陵も集中砲撃の巻き添えになりました。歴代の王族が眠る大事な東室と西室が破壊されるなど、被害は深刻でした。しかし戦後3年ほどかけて当時の姿に復元され、現在に至ります。また近辺には、第二次世界大戦で亡くなった旧制沖縄県立第一中学校の生徒を弔う「一中健児の塔」が建立されました。