戦争の記憶が残る場所「アブチラガマ」

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【沖縄の名所】アブチラガマ


【沖縄の名所】アブチラガマ

 「ガマ」とは沖縄の方言で「洞窟」「窪み」を意味します。アブチラガマは長さ270mにも及ぶ自然洞窟です。中には水源もあります。 ここは沖縄戦の際、陸軍壕、非難壕、病院壕として利用されました。今でも当時の面影を残すこの場所は、有料のガイドを受けながら見学することができます。
 修学旅行生が訪れることもあり、戦争の悲惨さをありのままの姿で教えてくれる重要なスポットとなっています。  沖縄戦開始後、一時を除いてこの壕には住民が避難していました。陸軍壕としても使われていたアブチラガマですが、4月末には陸軍病院の分院に指定されたため、女学生の「ひめゆり部隊」がここで看護活動を行いました。ひめゆりの悲劇はあまりに有名な話ですが、女学生達は不眠不休で看護活動や伝令、水汲みなどに徹しました。この壕は多い時には1,000人近い患者が収容され、人で溢れかえるようになりました。


 5月末に部隊に撤収命令が下されると、自力で歩けない重症患者などは見捨てられ置き去りにされるか、青酸カリなどで殺されてしまいました。
 その後も壕に残った敗残兵や住民らの避難生活は8月末まで続きました。傷病兵の治療は薬品不足が顕著で、麻酔をかけないまま手足を切り落とすこともあったようです。壕の中では悲惨な暮らしが続きました。  米軍からは火炎放射などの攻撃を受けました。
 今でもアブチラガマの内部には焦げているような箇所がいくつか見られ、当時の攻撃の激しさを物語ります。壕の中にこもる以外生き抜く術を持たず、かと言ってそこも死と隣り合わせ、日々の攻撃に怯えながら一瞬一瞬を緊迫した状況の中で過ごすことになった人々の状況を考えると、改めて戦争の恐ろしさを実感します。 空気穴からは自然発火する黄燐弾などが投げ込まれ、壕は不利な状態で攻撃を受け続けました。しかしながら投降の呼びかけに応じれば、敗残兵に殺されてしまうので、それに応じることはできなかったのです。

今でもガマに入ると感じるこの重苦しい空気は、戦争が残した傷跡と言えます。ここには確かに戦争の惨さが記憶され、常に私達へと強いメッセージを送っているのです。

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