沖縄の名所

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首里城

国営沖縄記念公園は、大きく二つの地区に分かれます。その一つが那覇市にある首里城地区で、園内には復元された首里城の正殿の他に、南殿・北殿、歓会門・奉神門などがあります。この地区は通称、首里城公園と呼ばれます。

 

2000年には公園内の首里城跡、園比屋武御嶽石門、玉陵が世界遺産に登録されました。

沖縄の城はグスクと呼ばれ、首里城はそのグスクの中で最も有名な物です。沖縄を統治した琉球王国の王宮であり、当時の政治的・宗教的・文化的中心地でした。

1879年に尚泰王が首里城から追放、沖縄県が設置された後、首里城は日本軍の駐屯地や各種の学校などに使われました。1930年代には大規模な修理が行われましたが、1945年に沖縄戦時のアメリカ軍の攻撃により全焼しました。戦後、跡地は琉球大学キャンパスとなりましたが、大学移転後に復元事業が推進され現在に及びます。

公園内は無料エリアと有料エリアに分かれています。有料エリア大人一般のチケットは800円です。

1600円の年間パスポートもあるため、ふらっと一度観光に行くのも、熱心に通うのもお手頃価格で済むため魅力的です。

見所・料金など

園内では様々なイベントも行われており、下之御庭にて一日三回、週四日行われる琉球舞踊は無料で観覧することができます。首里城の敷地内で美しい衣装、優雅な動きを見ていると、心も安らぎ、満たされます。

お正月には有料エリアにて、元旦の早朝に行われた「朝拝御規式」の再現を行うので古典芸能を中心にした琉球舞踊を見ることができます。季節によって国王・王妃選出大会などユニークなイベントも開催しています。一般公募のものなので、誰でも楽しめます。

更に毎日、日没後には首里城がライトアップされます。もともと本土の城よりも艶やかなつくりで目を引く首里城ですが、夜はまた違った一面を見せてくれます。森の中に浮かび上がるその姿はとても幻想的な雰囲気が漂っていて、見る者を魅了します。 朝から晩まで、一年中楽しめるスポットです。

首里城案内サイト(公式)


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海洋博公園

国営沖縄記念公園は、沖縄県本部町で1975年に開催された沖縄国際海洋博覧会を記念して、1976年に博覧会跡地に設置された国営公園です。

もともとは国営沖縄海洋博覧会記念公園という名前で、通称海洋博公園と呼ばれるものでした。しかし国営事業として首里城復元を始めるために首里城地区も国営公園であるという扱いにしなければなりませんでした。そのため国営沖縄海洋博覧会記念公園は、首里城地区と合わせて一つの国営公園であるとされ、公園名を国営沖縄記念公園へ改称しました。国営沖縄記念公園の中に海洋博公園があるということです。

海洋博公園には3つのエリアがあります。歴史・文化のエリア、海のエリア、花・緑のエリアです。

●歴史・文化のエリア

歴史・文化のエリアには琉球列島古来の民家群及び民家庭園を再現したおきなわ郷土村、生活用具・漁労具などが展示されている海洋文化館(2013年春リニューアルオープン予定)、沖縄最古の歌謡集『おもろさうし』に登場する植物を展示植栽したおもろ植物園などがあります。

●海のエリア

海のエリアでは、世界最大級の沖縄美ら海水族館、イルカショーを行うオキちゃん劇場、マナティー館、白砂を敷きつめた人工ビーチのエメラルドビーチなどがあります。

●花・緑のエリア

花・緑のエリアには、世界的な規模の温室を設け一年中花を楽しむことのできる熱帯ドリームセンター、東シナ海に沈む美夕陽が見られる夕陽の広場、熱帯・亜熱帯都市緑化植物園などがあります。

見所・料金など

園内では海の生き物ペーパークラフト作り体験、ソテツを使った虫かご作り体験、沖縄のかんたんお面作り体験など沢山の無料イベントが行われています。季節ごとのイベントもあるので、毎回違った楽しみ方ができるのも嬉しいですね。イベントは予約制のものもあるので、事前にチェックをしてから行くとより満喫できるでしょう

 

施設への入館は有料のものもありますが、公園への入園は無料です。

子供からお年寄りまで、沖縄の歴史や自然を一緒に楽しめる空間であり、観光地として県内でも高い人気を誇っています。

海洋博公園サイト(公式)


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宮古島市総合博物館

宮古諸島の自然や歴史、文化、民俗などの様々なジャンルの資料を展示しています。

見所・料金など

入館料金は大人300円です。館内は2つの展示室に分かれています。

◎第一展示室

第一展示室では、考古・歴史部門として人々が宮古に住み着いた時代から第二次世界大戦までを、民俗部門として伝統芸能や行事を紹介しています。

◎第二展示室

第二展示室の自然科学部門は宮古島の生い立ちや自然を、美術工芸部門は特色ある織物・焼物の紹介をしています。

博物館は宮古の石積み建築様式を取り入れるなどして、外観にも凝っています。全体的に視覚に訴えるものが多く、わかりやすく飽きない展示となっています。中でも生活様式を再現したジオラマはまさに百聞は一見にしかず、昔の島の様子を想像して想いを馳せることができます。 また博物館主催で企画展や講座なども開催しているため、学びの面でとても充実しています。 そして何と言っても印象深いのは展示品の一つである、パーントゥのレプリカです。宮古島では慣れ親しまれている物ですが、知らない人が見ると一瞬ドキッとしてしまいます。 パーントゥは、来訪神の名であり、悪霊払いの行事の名にもなっています。

宮古島の伝説によると、その昔島をあげてのお祭りの日に島尻の海岸に異様な形相の仮面が流れ着きました。神女によりこれは来訪神だというお告げがなされると、この仮面を元に更に2つの仮面を作り、合計3体のパーントゥが誕生したそうです。 厄払いの方法は、仮面を着け蔓草のシイノキカズラを纏い全身に泥を塗ってパーントゥに扮した青年3人が、人々や家屋に泥を塗りたくるというものです。 この泥はンマリガーと呼ばれる泉の底から取られるもので、ものすごい臭気を放っています。泥が乾けば本拠地で泥を補充してパーントゥは再び出発します。 泥を塗られると無病息災が訪れるのですが、やはりほとんどの人が逃げるので、行事の際にはパーントゥとの鬼ごっこ状態がよく見受けられます。レプリカですら絶大な存在感があるので、追いかけられるとなおさら迫力がありそうですね。

宮古島市総合博物館サイト(公式)

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ひめゆりの塔

沖縄県糸満市にある慰霊碑で、沖縄戦末期に沖縄陸軍病院第三外科が置かれた壕の跡に立っています。

1945年、沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校の女子生徒及び職員は沖縄陸軍病院に看護要員として従軍しました。その後、激しい砲撃にさらされるようになったため陸軍病院そのものが、回復の見込みのない負傷兵と学徒を置き去りにして南部の伊原・山城周辺に撤退し、分散して地下壕に潜みました。 日本にとって厳しい戦局になると学徒隊は解散を命じられますが、壕の外は激戦地となっているため、外に出ることは大変困難な状態でした。 そして第三外科壕の人々は脱出する前にアメリカ軍の襲撃に遭い、ひめゆり学徒隊の中でも最も多くの犠牲者を出しました。黄燐手榴弾などの攻撃を受け、多くの人が亡くなったのです。第三外科壕にいたひめゆり学徒隊のうち沖縄戦終結まで生き残ったのはたった5名のみでした。解散命令以後の死亡者は、ひめゆり学徒隊における死亡者の全体の8割以上にものぼります。

併設されているひめゆり平和祈念資料館には、犠牲になったひめゆり学徒隊の方々の写真が飾られています。その若さに、彼女達を巻き込んだ戦争の悲惨さ、恐ろしさを痛感し、平和について改めて考えさせられます。

“ひめゆり”という名は学徒隊員の母校である沖縄県立第一高等女学校の校誌名『乙姫』と沖縄師範学校女子部の校誌名『白百合』とを組み合わせた言葉で、もとは“姫百合”でした。ひらがなで記載されるようになったのは戦後のことです。

本来ならば勉強も遊びも恋も、何でもできる人生の素敵な時期を送るはずだった彼女達。その運命を変えたものは何だったのでしょう。二度とこの悲劇を繰り返さないため、今を生きる私達に宛てられた沢山の言葉と想いを掬い取っていきたいものです。  沖縄戦の過酷さ、悲惨さを象徴するものとして、参拝する人々は絶えません。忘れてはいけない大事な記憶を碑に刻み、ひめゆりの塔は平和の尊さを示し続けます。

ひめゆりの塔WIKIPWDIA(公式)

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識(しき)名園(なえん)

沖縄県那覇市識名にある琉球庭園の一つで世界文化遺産に登録されています。 別名で識名の御殿や南苑とも呼ばれます。後者は首里城の南に位置することからきている名前です。

識名園は琉球の第二尚氏、尚穆の時代から造園が始まったと言われています。完成は1799年で尚温の時代です。しかし第二次世界大戦でほとんどの建造物が破壊されたため、現在見られるのは復元されたものです。

「心」の字をくずした形の心字池を中心に、周辺には御殿、花園、築山などが配置されています。池の小島には中国風の六角形のあずまやである六角堂が建てられており、小島には一つ石の琉球石灰岩でつくられたアーチ橋が架かっています。

この庭園は沖縄独自の様式に中国の様式を取り込み、折衷様式で建築された個性的なつくりです。池の廻りを歩きながら景色の移り変わりを楽しむことを目的とした廻遊式庭園として、見る者の目を楽しませました。

琉球王最大の別邸で、国王一家の保養の他に、中国皇帝からの使者である冊封使を接待する迎賓館としても使われました。

また“勧耕台”と称する展望台がありますが、海を望むことはできません。一説によると琉球をより大きな国に見せるための工夫だそうです。沖縄県内の他の場所では高台に登るとよく海が見えますが、海に囲まれた地形を逆手に取り、土地を広く見せるとはよく考えたものです。どこまでも海が見えない眺めは、冊封使の目にはまるで大陸の景色の様に見えたのではないでしょうか。

展望台の傍には勧耕台碑があります。これは尚育王の冊封正使である林鴻年が手入れの行き届いた田畑を見て、王が心から人々を励ましていると称えたものです。

見所・料金など

園内は大人料金400円で入場することができますが、観光するだけでなく結婚式を挙げる人も多いそうです。きれいな風景の中で挙げる式はとても贅沢ですね。 識名園歌会や識名園友遊会というイベントが催され、短歌や地域の伝統芸能発表の場としての役割も果たしています。

識名園WIKIPWDIA(公式)


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斎場御嶽

斎場御嶽は南城市に位置します。御嶽とは、腰当(くさて)森(むい)や拝み山などとも呼ばれる、琉球の信仰における祭祀などを行う施設のことです。

斎場御嶽は王国最高の御嶽とされ、国家の最高神職である聞得大君が管理をしていました。聞得大君の就任儀式が行われた御嶽もここ斎場御嶽です。

敷地内には首里城内の施設名と同じ拝所が複数あり、王府との関係性の強さを垣間見ることができます。“チョウノハナ”という最も格の高い拝所は3つの拝所が集中する最奥部の三庫理にあります。ここにはクバの木を伝って、琉球の創世神であるアマミクが降臨するとされています。

琉球の御嶽は全て男子禁制で、斎場御嶽では庶民は入口の御門口を越えて進入することさえ許されず、国王であっても御門口より先に入るには袂の合わせを女装に改める必要がありました。国で一番権力のある王様も女装をしなければならなかったなんて、少し面白いですね。

また三庫理からは最高聖地とされる久高島を遥拝することができます。もともと三庫理は三方を岩壁に囲まれた空間でしたが、近世になって岩壁の一角が崩れたことで偶然、高島が顔を覗かせたのです。そのため史書等には記述がありませんが、そこには何か必然性のようなものを感じてしまいます。

見所・料金など

観光地としては、緑の館・セーファに入館してから観覧する形式を取っており、入館料金は大人200円です。自然の中を歩いて観光するので、それも一つの楽しみになっています。周辺の森林にはシダ植物やラン科などの珍しい植物も生息しています。文化面でも自然面でも大変貴重な場所です。ただし山なのでどうしても傾斜や階段があります。自然を眺めつつ、足元にも注意を払って下さいね。

敷地内には砲弾池という池もあります。その名の通り、沖縄戦時に大砲が着弾してできた池です。艦砲射撃の威力は激しく、当初池は3メートルの深さがあったそうです。現在は落ち葉や土砂で埋まり60センチほどの深さになっています。今なお、土には戦争の傷跡が残っています。しかしそこにはカエルやトカゲなど生物の生息が見られ、歴史を受け止めた上で次の時代を生きていくことへの力や希望を感じます。

斎場御嶽WIKIPWDIA(公式)


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