琉球王朝時代の武術について
昔は生きるため身を守るための武術だったのかもしれないので、こんなことを言っていてはいけないのかもしれませんが、男の人でも女の人でも武術のできる人ってなんかかっこよく見えるのは私だけなんでしょうか?
流れるような動きとか、巧みな剣さばきとかを見ると、キャー♡ってなってしまいます( ´艸`)
まぁそれはさておき、琉球の時代にも武術というものは存在していました。
琉球時代の武術“琉球武術”は、徒手空拳術と武器術の2つからなり、一般に徒手空拳術が“空手”、武器術が“琉球古武術(りゅうきゅうこぶじゅつ)”と呼ばれています。
今回は、2つのうちの「琉球古武術」について少しお話ししていくので、お付き合いいただけたらと思います。
琉球古武術は、“琉球古武道”、“沖縄古武道”、“沖縄古武術”などとも言われていて、棒、サイ、トンファー、ヌンチャク、鎌、鉄甲、ティンベー、スルジンの8種類の武器を使って、それぞれの武器の特色技、要素、技法をとても大事にしています。
それぞれの武器の特徴を最大限に生かしていたのでしょうね^^
そんな琉球古武術が歴史に現れ始めたのは、今から700年くらい前の鎌倉南北朝時代の頃のことです。
琉球の按司(あじ)の時代、そして南山、中山、北山の 三山が競り合い、 また統合された100年余りの間の戦に使用されたものもあり、またそれらの武器の使用法であったと言われています。
琉球には、“禁武政策”により武器がなかったため徒手空拳の空手が発展したという説もありますが、実際には薩摩服属後も、琉球士族は鉄砲以外の武器を持つことは禁じられておらず、武器術は稽古されていたのです。
当時の空手家は、空手の他にも剣術、槍術、棒術、弓術、釵術なども稽古していたので、こうした武器術の名人がたくさんいたんだそうです。
しかし、時代の流れとともに後継者も減って衰えていくばかりで、ごくわずかな人たちにのみ残されている状態となります。
こうした状況を思案した先人達は、空手と琉球武術の2つのすぐれた琉球古武術の保存と振興に努め、1940年には保存振興会が創設されています。
このおかげで今でも、八種の武器の使い方や基本組手、分解組手などの一連の技術体系が正しく保存振興されていて、現在伝承されている琉球古武術には、平信賢の系統、本部朝勇の系統、、又吉真光の系統の、大きく分けて三系統があり、他にも山根流棒術、劉衛流、渡山流などのいくつかの系統もあるのです。
古くから伝わるものを受け継いでいくというのは、とても大事なことですね^^少しでも当時のことを知ることができるし、貴重な財産となっていくのだと思います。
これから先もずっと絶やすことのないようにしていきたいものです^^