琉球の位階制度
今でこそ努力次第で誰にでもチャンスのある時代だと思うのですが、昔は身分制度が確立していて誰にでも平等にチャンスというものがありませんでした。平民が士族になれる可能性はほとんどなかったと言ってもいいくらいでした。
独自の文化を築いていた琉球王国にも身分制度は存在していました。琉球王国では身分制度のことを「琉球王国の位階制度」と言います。
今回はその「琉球王国の位階制度」についてお勉強していきましょう!
琉球の身分制度は独自の称号もあったりして、私自身ちょっと複雑な気がするしうまく説明できるかわかりませんが、お付き合いくださればうれしいです^^
それではどうぞ・・・。
琉球王国の位階制度の基本は第二尚氏王統第3代・尚真王(しょう しんおう)の時代に確立したと言われています。
尚真王は第二尚氏王統・初代国王尚円王の子で1476年~1526年の50年もの間王位にありました。その間に、1500年のオヤケアカハチの乱を平定して八重山諸島を、さらに1522年には与那国島を征服し、現代まで続く先島諸島の統治権を確立するなど、琉球王国の最盛期を築きました。また、地方の豪族らを首里に集めて中央集権化を図るなどして、王権の強化なども行っています。
1509年に金銀の簪(ジーファー、かんざし)によって身分の高い人と低い人に分けられ、1524年には六色の冠(ハチマチ)によって等級が制定されました。
六色の冠は王族・士族などの身分を目で見てわかるように表した冠(ハチマチ)で、当初はターバン式だったのが後に帽子タイプになったのだとか・・・。
王族である王子・按司(あじ)は「金・赤・黄系の浮織冠」、上級士族の親方(ウェーカタ)は「紫・青系の浮織冠、紫冠」、上級士族、一般士族の親雲上(ペーチン)は「黄冠」、一般士族の里之主(サトゥヌシ)・筑登之(チクドゥン)は「赤冠」、位階に上る前の位は「青冠、緑冠」と分けられていました。
18世紀初頭に程順則らによって「琉球国中山王府官制」(1706年)が制定、九品十八階の位階制度が確立し、1732年には、蔡温らによって位階昇進の細目を記した「位階定」が制定されました。
国王、王子、按司などの王族は、九品十八階のさらに上に位置し、平民はその下に位置していました。
とまぁ、こういった感じに位階制度は確立していったのです。
おおまかには国王を頂点に王族、上級士族、一般士族、平民(百姓)とわけられていたのですが、さらに細かく王子、按司、親方、親雲上といった称号にわけられ、さらに紫地浮織三司官、申口、里之子親雲上といった位階にわけられていました。
階級を正しく把握している人がいるのかと思うくらい細かくわけられているのです^^;
今回は琉球王国の身分制度についてほんの少し触れてみましたが、やはり琉球王国の歴史は深いです。まだまだ気になることばかり。また少しずつ紹介していけたらと思います^^