【沖縄の文化】紅型
琉球王朝時代、紅型は王族や貴族の衣装を染めるために用いられました。そのため染屋は首里城の周りに置かれ庇護されていましたが、廃藩置県などにより王家からの庇護を失った後は廃業を余儀なくされます。多くの染屋が首里を後にし、宮廷のために生まれた紅型は衰退していきます。 その後は本土への輸出品として染められるようになります。 この頃の物が、現在、古紅型と呼ばれる物の多くを占めています。中国の吉祥文様を図案とする物がほとんどで、士族の女性や成人前の男子の衣装として作成されました。ちなみに高年者や下級士族向け、藍色の濃淡で染めるものは藍型(えーがた)と呼びます。紅型は第二次世界大戦で消失の危機に立たされますが、鎌倉芳太郎や城間栄喜、知念績弘の尽力により復活を果たします。
紅型の技法には、一般的な型染め、筒描き、藍型があります。型染めは型の上から色を挿すのではなく、防染糊を置いて染めるという特徴的な手法です。両面染めともなるとかなり高度な技術力が求められますが、王朝時代の衣装はそのほとんどが両面染めでした。 模様の色味も独特で、紅型においては鶴を赤や緑で染めたり、桜をエンジや黄色で染めるなど奔放な色使いがなされます。そのため鮮やかで大胆な仕上がりになり、とても目を引きます。文様には衣装を身に着ける者への加護の意味が込められていると言いますが、確かにこうインパクト強いと、固い意志を持っているような印象を受けます。柄色は顔料を色止めのために豆汁で溶いたものを使用します。そこに、色の上から濃い色のぼかしを入れる「隈取り」をすることで柄を引き締めます。これも紅型の大きな特徴と言われます。
豆知識
紅型は、沖縄を代表する伝統的な染色技法の一つです。起源は13世紀頃と考えられていて、14世紀の紅型のきれが現存しています。「紅」は色全般を指し、「型」は様々な模様を指すとされていますが、紅型の漢字表記が普及したのは昭和期以降であり、沖縄県では平仮名で「びんがた」と表記する場合が多いです。